「ハードエイト」は1996年に公開された、ポール・トーマス・アンダーソン監督のデビュー作です。
アンダーソン監督の作り出す作品は、映画史に残る名作ばかりです。どの作品を分析してみても、多くの学びがあることは疑いの余地がありません。
なにしろ世界三大映画祭のすべてで監督賞を受賞している唯一の監督です。
ならばデビュー作から順に、すべての作品を分析してみたいとVisuwordは考えました。
ただ「ハードエイト」はさすがに未鑑賞の方が多いのではないでしょうか・・・。
いつもなら<ネタバレご容赦ください>と案内を入れてはじめるところですが、それでは大部分の方に目を通していただけない。
そこで今回はネタバレなしです!オープニングシーンだけ解説しますので、鑑賞前の方も予習のつもりでご覧ください。
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
まずは監督のFilmographyを確認しましょう。
- 1996:Hard Eight(ハードエイト)
- 1997:Boogie Nights(ブギーナイツ)
- 1999:Magnolia(マグノリア)
- 2002:Punch-Drunk Love(パンチ・ドランク・ラブ)
- 2007:There Will Be Blood(ゼア・ウィル・ビー・ブラッド)
- 2012:The Master(ザ・マスター)
- 2014:Inherent Vice(インヒアレント・ヴァイス)
- 2017:Phantom Thread(ファントム・スレッド)
- 2021:Licorice Pizza(リコリス・ピザ)
「ハードエイト」はアンダーソン監督が自費で作り上げた短編「シガレッツ&コーヒー」を元にした長編作品です。
「ブギーナイツ」でブレイクする前の作品なので、アンダーソン監督のファンであってもまだ観ていない方も多いのではないでしょうか。
とはいえアンダーソン監督作品の常連フィリップ・ベイカー・ホールが主演、共演は同じく常連のジョン・C ・ライリー、ほかにもサミュエル・L ・ジャクソン、グィネス・パルトロウ、さらにフィリップ・シーモア・ホフマンも登場します。
デビュー作にしては想像以上に豪華。
「ハードエイト」誕生秘話は《「21世紀最初の巨匠」ポール・トーマス・アンダーソン》をご確認ください。
オープニングショット
「ハードエイト」のオープニングショットはロングテイク(長回し)です。
曇り空、朝のダイナーに男がうずくまっています。目の前を通り過ぎる巨大なトレーラーが、彼の小ささを強調します。
画面の右側から現れた黒いコートが立ち止まり、うずくまる男を見つめています。
黒いコートの人物が歩き出すとカメラは距離を保ったまま前進(トラッキング)をはじめ、入り口のガラスに男の姿を一瞬だけ映します。
うずくまる男にミディアムショットまで近づくと、コートの男は声をかけます。
「コーヒー飲むか? それとタバコも」
かっこいい・・・。
声をかけた男の切り返しはありません。ダイナーの入り口にチラッと映った姿と声のトーンで、男が年配であることがわかるだけです。
カメラは高さこそうずくまる男の視線ですが、黒いコートの男の後を追って動きます。そのせいでこの段階では、この物語がどちらの男のものであるのか判断に迷います。
仮にカメラの高さが黒いコートの男の視線(うずくまる男を見下ろす視点)であれば、観客はコートの男の物語ではないかと推測するはずです。
ダイナーでの切り返し
アンダーソン監督はダイナーに入った二人を、クロースアップの切り返しのみで3分も構成します。
店内の様子どころか、テーブルについた二人のツーショットすらありません。
シドニー(老人)がジョン(若い男)にどうして金がないのかたずねると、ジョンは母親の葬式代を稼ごうとしてギャンブルでスったと答えます。クロースアップのみで会話をさせることで、二人の間にただよう緊張感が伝わります。
葬式代についてしばらく話した二人に、ようやくツーショットが訪れます。
肩の力を少し抜いて会話を聞くことができるようになりました。
ジョンは正体不明の男にコーヒーとタバコを恵んでもらったことで、当然ですがシドニーに不信感を持っています。状況を説明するカットを用いないことで、そんなジョンの心理的な緊張感を表現しています。
そして興味深いのはその後のクロースアップ。OTS(オンザショルダー/肩舐め)で撮影されています。
シドニーはジョンに「50ドルやるから、ちょっと賭けてみないか?」と提案して立ち上がります。立ち上がる直前のカットでは、アンダーソン監督おなじみのスマッシュパン(小)が炸裂します。
それと同時にピアノが鳴り始め、物語が動き出す予感が漂います。
ふたつのカップ
「どうして親切してくれるんだ?」と怪しむジョンにシドニーは「ギャンブルを教えてやる」と答えます。
この時のふたつの切り返しは、同じ速度でミドルショットからクロースアップへと寄って(プッシュイン)いきます。
カメラがプッシュインすることで、決断を迫られるジョンと並列に、ジョンを連れ出したいシドニーが描れていることに注目してください。
次第に大きくなっていくBGMは「変な真似したら承知しないぞ」とすごむジョンに、シドニーが「承知した」と答えた瞬間最大になり、アンダーソン作品でおなじみの管楽器が鳴りはじめます。
パーラーラララー。ラララーラ、パララー。
ためらいながらも立ち上がったジョンはダイナーを出て行きます。カメラはだれもいなくなったテーブルに残されたふたつのカップまでプッシュインしていきます。
テーブルに残されたふたつのカップを見てようやく気づくのです。これはジョンとシドニー、二人の物語だということに。
このように「ハードエイト」のオープニングシーンには無駄なカットや演出が一切ありません。
まだ未鑑賞の方はこれを機に、ぜひご覧ください。
分析画像は『ハードエイト DVD』TSDD-24666より引用