解説『バーバー』の結末 本当の意味を知る

バーバー解説ソファー

コーエン兄弟の第9作目となる『バーバー』は、彼らのフィルモグラフィーの中でも地味な部類の作品かもしれませんが、間違いなく名作です。

カンヌ国際映画祭でも3度目の監督賞を受賞しています。

この映画はわかりやすい作品とはいえず、レビューでは「救いのない物語だ」と否定的な意見も見られます。

ところがこの物語、本当はハッピーエンドだということをご存知でしたか?

わたし”Visuword”は映画を1カットずつ検証することで、監督の意図を探ろうと試みています。

感想や批評ではなく、映像の中にあるヒント(事実)から映画を解説します。

今回は『バーバー』を深く読み解いてみたいと思います。

今回は映画をご覧になっている方に向けた内容です。映画の結末に触れています。
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監督:コーエン兄弟

まずは『バーバー』の監督コーエン兄弟のFilmographyを確認しましょう。

  • 1984:Blood Simple(ブラッド・シンプル)
  • 1987:Raising Arizona(赤ちゃん泥棒)
  • 1990:Miller’s Crossing(ミラーズ・クロッシング)
  • 1991:Barton Fink(バートン・フィンク)
  • 1994:The Hudsucker Proxy(未来は今)
  • 1996:Fargo(ファーゴ)
  • 1998:The Big Lebowski(ビッグ・リボウスキ)
  • 2000:O Brother, Where Art Thou?(オー・ブラザー!)
  • 2001:The Man Who Wasn’t There(バーバー)
  • 2003:Intolerable Cruelty(ディボース・ショウ)
  • 2004:The Ladykillers(レディ・キラーズ)
  • 2007:No Country for Old Men(ノーカントリー)
  • 2008:Burn After Reading(バーン・アフター・リーディング)
  • 2009:A Serious Man(シリアスマン)
  • 2010:True Grit(トゥルー・グリット)
  • 2013:Inside Llewyn Davis(インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌)
  • 2016:Hail, Caesar!(ヘイル、シーザー!)
  • 2018:The Ballad of Buster Scruggs(バスターのバラード)
  • 2021:The Tragedy of Macbeth(マクベス)
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兄ジョエルと弟イーサンの2人は、世界中の映画ファンに愛される兄弟監督です。

『ミラーズ・クロッシング』や『ノーカントリー』のようにスリリングな作品から、『赤ちゃん泥棒』や『ビッグ・リボウスキ』のようなコメディまでさまざまな作品を世に送り出しています。

監督や脚本のクレジットを見ると、兄と弟で役割分担がされているように見えますが、実際はすべての作業を2人でおこなっています。

『ノーカントリー』でアカデミー作品賞と監督賞を受賞したコーエン兄弟ですが、カンヌ映画祭においてもこれまでに高い評価を受けています。

4作目の『バートンフィンク』で作品賞・監督賞・主演男優賞の3冠を受賞したことは有名ですが、6作目『ファーゴ』で2度目の監督賞を、そして9作目の『バーバー』で見事3度目の監督賞を受賞しています。

コーエン兄弟については《「スリルとユーモアの王」コーエン兄弟》で詳しく紹介しています。

隠された仕掛け

『バーバー』の概要

この作品の原題は『The Man Who wasn’t There』です。直訳すると『そこにいなかった男』となります。

床屋のエド・クレインが「自分は存在していないように感じる」と独白をする場面があるように、この作品はエドが自分自身に存在意義を問いかけるという作品です。

映画の中でエドは何度も「What kind onf man are you?(お前はなんなんだ?)」とたずねられます。

エドにもわかりません。自分はいったいどういう男だ?

義理の兄が経営する床屋で働くエドは、妻ドリスの裏切りに気付きます。つねづね床屋で終わるわけにはいかないと思っていたエドは、ドリスの浮気相手デイブを強請(ゆす)って大金を手に入れ、新しい事業をはじめる計画を立てます。

ところが事態は恐ろしい方向へ転がりはじめます。

モノクロとカラー

まず『バーバー』を語る上では、モノクロ版とカラー版のふたつが存在する珍しい映画だということに触れないわけにはいきません。

コーエン兄弟は当初から、この映画をモノクロで撮影しようと考えていたようです。

「心に闇を抱えた床屋」という設定は、白と黒のコントラストを活かすのにうってつけだと思えたのではないでしょうか。

ところがモノクロ映画に興行的な不安を感じたスタジオによって、カラー版を製作せざるをえなくなります。(日本など一部の国では、セル用としてカラー版が収録された)

そのためカラーフィルムで撮影がおこなわれ、編集過程で彩度を落とすという処理がなされました。

モノクロ版とカラー版は、物語上の意味合いに違いはありません。

UFOに隠された仕掛け

ドリスの浮気相手デイブから大金をせしめる計画は破綻し、結果的に恐ろしい悲劇を招く。

一見するとそのように見える物語ですが、この映画には別の見方が存在します。

単純に見える物語に謎という影を落とすのは、随所に現れるUFOの描かれ方です。極めつけはラストシーンの直前、牢屋の中で眠っていたエドが目を覚ますと中庭までの通路が開かれ、そこでUFOと遭遇します。

クラッシックなサスペンスかと思ったら、実はSFなのか!?

驚くのものつかのま、目覚めたエドには最後の日が待っていました。

この映画を理解するためには、UFOがなにを意味しているのかを知る必要があります。コーエン兄弟はなんのためにUFOを登場させたのでしょうか。

UFOの意味

UFOの意味を知るために、映画の中でどのようにUFOが登場したのかを確認します。

アンの訪問

デイブの殺害容疑でドリスが逮捕され、エドと義理の兄のフランクは店を担保に金を借りて弁護士を雇います。

ある晩、殺されたデイブの妻アンがエドのもとを訪れ、去年の夏にデイブが宇宙船に連れられたという奇妙な話をはじめます。

アンはデイブを殺した犯人はドリスではなく、政府の陰謀だと信じているようでした。

古典的なサスペンスにUFOが登場したのはこの場面からです。

映画のちょうど中間地点にあたるこのシーンこそ、物語の大きな転換点です。

雑誌記事

2度目は郡の検視官がエドのもとを訪れて、ドリスがデイブの子供を身籠もっていたことを知らされる直前でした。

エドが休憩がてら読んでいた雑誌に、UFO事件で有名なロズウェルの記事を見つけます。

タイヤのホイール

3度目は事故にあった車のホイールが転がるシーンです。直接的な描き方ではありませんでしたが、あきらかにUFOを意識させるシーンです。

そして4度目が前述した中庭のシーン、これですべてです。

物語の中でUFOは本当に存在するのでしょうか。それともなにかを暗示しているのでしょうか。

物語の本当の結末

アンとエド

UFOの意味を知るために重要なシーンがあります。

それはエドが霊媒師のもとをおとずれる場面です。

死んだドリスがデイブの子供を身籠もっていたことを知らされたエドは、唐突に霊媒師のもとを訪れドリスとの交信を試みます。

インチキ霊媒師のやり口に腹を立てたエドは「何とかしないとアンのようになる」と危機感を募らせます。

この時の電灯のカットとそれにつづく俯瞰のカットで、アンのようにならない方法を考えようとするエドと、その行為は無駄な努力に終わるということが暗示されます。

台詞やカットの構成から、エドがアンに自分の姿を投影させていることがはっきりとわかります。

エドは無口な男です。ほかになんの特徴もありません。この物語の伏線はそこにあります。

エドがデイブを強請(ゆす)り、霊媒師のもとへ行き、ウォルターの娘バーディーの才能に賭ける気になったのは何故なのか。その行動原理がはっきり明示されていません。

なぜなら独白を続けているエドにも、それを言葉で説明することができないからです。

エドの本心

アンのようになってはいけないとエドが自分を戒める。それはつまり死んでしまったドリスのことが忘れられずにいるということです。

エドが感情を表さないからこそ伝わらないのですが、エドはドリスを心から愛しています。

ドリスの死後、仕事を終えて一人で部屋に戻った孤独なエドが描かれます。そして交通事故の直後に見た妄想で、エドはドリスとの時間を思い出します(会話らしい会話はありません)。

エドはアンと同様、ドリスの死に取り憑かれています。

ドリスの香水

じつはドリスとUFOの関係を暗示しているカットが映画の序盤にありました。

それがドリスの登場シーンにおける香水です。

化粧台の香水を手に取り、首元に吹き付ける連続したカット。香水はあきらかにUFOの形をあらわしています。なぜドリスではなく香水にフォーカスを合わせるのか疑問でしたが、理由はその形にあったということがわかります。

エドにとってのUFO、それはドリスへの想いです。

エドはアンの影響で、愛する人の死とUFOを関連づけることになります。

たまたま目にした雑誌記事に描かれたイラストと同じ形のUFOを処刑前の夢で見て、自分の運命を受け入れることができました。

そこでなら彼女(ドリス)に言える

この世の言葉では言い表せないことを

エドの最後の台詞

自分が何者なのか分からなかったエドはドリスの夫であること、そして床屋であることを受け入れて死んでいきます。

処刑場が眩いばかりの光にあふれていたのは、そこが悲劇の舞台ではないからなのです。

『バーバー DVD』AEBF-10142より引用

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