今回は2010年に公開されたデビッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」を分析します。
この作品は物語のほぼ半分が、ふたつの訴訟をおこされたフェイスブック創業者マーク・ザッカーバッグの調停シーンです。
これまで革新的な映像を多く撮ってきたフィンチャー監督にとって、長く続く会話シーンをいかにして撮影したのか。
そこにはある工夫が隠されていました。
分析という性質上、映画をご覧になっている方に向けた内容です。ネタバレ等ご容赦ください。
目次
監督:デビッド・フィンチャー
まずはフィンチャー監督のFilmographyを確認しましょう。
- 1992:Alien3(エイリアン3)
- 1995:Seven(セブン)
- 1997:The Game(ゲーム)
- 1999:Fight Club(ファイト・クラブ)
- 2002:Panic Room(パニック・ルーム)
- 2007:Zodiac(ゾディアック)
- 2008:The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)
- 2010:The Social Network(ソーシャル・ネットワーク)
- 2011:The Girl with the Dragon Tatto(ドラゴン・タトゥーの女)
- 2014:Gone Girl(ゴーン・ガール)
- 2020:Mank(Mank/マンク)
「ソーシャル・ネットワーク」はフィンチャー監督の8作目にあたります。
エイリアン3をフィルモグラフィーに含めるべきではないという意見もあるかもしれません。詳しくは《「鬼才」にして「完全主義」デビッド・フィンチャー》をご確認ください。
「ソーシャル・ネットワーク」はフィンチャー監督にとって、興行的にも批評的にも最も成功を収めた作品です。
ゴールデングローブ賞では作品賞と監督賞をともに受賞し、アカデミー賞でも作品賞、監督賞を含む8部門にノミネートされています。
フォンチャー監督はインタビューでこの作品は現代版「市民ケーン」だと回答したそうです。巨万の富を得た男の心の内には、忘れられない女性への想いがあった・・・。
会話劇への挑戦
マーク・ザッカーバーグは元共同経営者のエドゥアルド・サベリンから、不当に肩書きを奪われ株の希薄化によって損害を被ったとして訴訟をおこされました。
またフェイスブックの元となるサイト「ConnectU」の発案者ウィンクルボス兄弟からも、知的財産権の侵害で訴訟をおこされます。
物語はこのふたつの調停シーンにおける弁護士からの質問というかたちで進められます。
誰もがフェイスブック(マーク)の成功をすでに知っているため、マークの挑戦だけでは物語を牽引する力が足りません。そのため脚本家のアーロン・ソーキンはなぜマークは訴訟を起こされるに至ったのかという部分に焦点をあてます。
とりわけエドゥアルドは映画の前半でマークの唯一の友人として描かれていますから、訴訟に至った経緯を知りたい観客の興味を持続させることができます。
ただ、この構成は大きな問題をはらんでいます。
それはマークと弁護士のやりとりが多くなるということ。
テーブルを挟んだ会話のシーンが増え、映像的な面白みに欠けるということです。
フィンチャー監督はこの問題をどのように解決したのでしょうか。


エドゥアルド・サベリンの仕掛け
物語において主人公マークと同じくらい重要なのが、アンドリュー・ガーフィールドが演じるエドゥアルドです。
映画の前半ではマークにとってエドゥアルドはなくてはならない存在です。

エドゥアルドがマークに依頼されたアルゴリズムを窓に描く場面は、そのことを視覚的に示唆しています。仲間達はエドゥアルドの数式の影響下にあるのです。
ところがフェイスブックが大きくなるにつれて、エドゥアルドの影響力は減少します。挙句の果てに持株比率を下げられ、CFOをクビになります。
友人だったはずのマークを訴えたエドゥアルド。
その心の動きをフィンチャー監督は巧みに映像化しています。

これら一連の画像でもわかるように、調停が進むにつれてエドゥアルドはマークに対して身体の向きを変え、クライマックスではついに背を向けてしまいます。
身体の向きに変化をつける指示は、アーロン・ソーキンの脚本にはなく、エドゥアルドを演じたアンドリュー・ガーフィールドは、フィンチャー監督の指示だったと語っています。
「僕は最初不自然じゃないかと心配してた。大げさすぎる表現だと思ったんだ。でも映像的に面白くなったし、シーンにもあってる」
アンドリュー・ガーフィールド
「ソーシャル・ネットワーク Blu-ray」音声解説より
マークに対して身体の向きで変化をつける。
ただそれだけのことですが、会話劇を飽きさせることなく、さらに観客にエドゥアルドの心の動きを共感してもらう効果があります。
マリリン・デプリーの役割
エドゥアルドと同じかもしくはそれ以上に重要なキャラクターがいます。
マークが雇った弁護士事務所の新人、マリリン・デプリーです。
彼女は映画を通して、ボスに付き従って調停を見学しています。台詞のあるシーンは3つしかありません。ほとんどの場面で頷いたり、顔をしかめたりしています。
本来ならば主人公であるマークに感情移入するべきなのですが、彼はフラれた彼女をブログでこきおろし、ブラのサイズを暴露するだけに飽き足らず、ハーバードの女性たちに順位をつけるサイトを開設するような男です。
とても感情移入しづらい。
エドゥアルドはマークを訴えた男ですから、もちろん感情移入させるわけにはいきません。
そこでその役割をになったのがマリリンというわけです。
彼女がマークと会話するのは以下の3回です。
- エリカにフラれてハーバードのサーバーをダウンさせたエピソードの直後
- エリカと再会したマークがフェイスブックを拡大させようと決意した直後
- エンディング(エリカに友達申請するきっかけ)
まさに前半、中盤、後半の3回。第二弁護士という立場上、出番を増やすことはできず、かといってこれ以上減らすこともできない。ギリギリの線だといえます。
フィンチャー監督は3回という少ない出番で、いかにして観客をマリリンに感情移入させたのでしょうか。
マリリン・デプリーの仕掛け
マリリンの登場シーンそれぞれにおいて、フィンチャー監督は工夫を凝らしています。
最初の登場シーン
エドゥアルドの調停シーンで、マークがハーバードのサーバーをダウンさせた経緯が語られます。呆れたムードの中で一人だけマークに質問をしたのが第二弁護士のマリリンです。
「本当に1時間で2200アクセスもあったの?」とたずねるマリリンに、マークは「桁が違う。2万2000だ」と答えます。
彼女の答えは「ワオ」でした。
実はこのとき、カメラはライン<イマジナリー・ラインについてはこちらを確認ください>を超えます。

フィンチャー監督はマークに対するマリリンの評価が変わったことをラインを超えることで観客に伝え、マリリンへの共感を呼び起こさせます。
2度目の登場シーン
二度目の会話は映画のちょうど真ん中にあたる場所に配置されています。
物語においても調停においても、ここで小休止という意味合いが含まれているように思います。
ランチのサラダを持って現れたマリリンが、部屋に残っていたマークと会話を交わします。
「ウィンクルボス兄弟のこと本当に嫌いなのね」
「僕はだれも嫌ってない。彼らはただ初めて物事が思い通りにならなかったから訴えたんだ」
マークという人間を理解することは簡単なことではない。そう痛感するマリリンに観客を共感させるために、フィンチャー監督はマリリンに背中を向けさせます。

エドゥアルドに対しておこなった演出に通ずるものがあります。
このシーン、脚本でのマークは調停のときと同じ座席に腰を下ろしています。フィンチャー監督はマークの座る位置を変えることでこのシーンの持つ意味を強調しています。
最後の登場シーン
そして最後の登場シーンでは、調停を終えたマークのもとに帰り支度をしたマリリンが現れます。
マリリン(観客)はついにマークと対等に会話をします。映画の中でもっとも人間らしいマークの姿をこのシーンで見ることができます。
不安、後悔、そして孤独です。

マリリン(観客)は立ち去る直前にマークに対してこう言います。
「あなたはクソ野郎じゃない。そう見えるように振る舞っているだけ」
ここに至るまでにフィンチャー監督が仕掛けた効果もあり、われわれはマリリンの言葉を受け入れることができるのです。
マリリンとマークの3度の会話にはそれぞれに別の目的があり、それを最も効果的に視覚化するための位置をフィンチャー監督は見つけ出しています。
分析画像は『ソーシャル・ネットワーク Blu-ray』BRS-80138より引用