最新作『ウェスト・サイド・ストーリー』も話題のスティーブン・スピルバーグ監督を前編・後編に分けてご紹介しています。
ハリウッドで大成功を収めたスピルバーグ監督は、『カラー・パープル』や『シンドラーのリスト』を経て芸術映画を撮ることもできる監督であることを証明しました。
『シンドラーのリスト』で一度目のアカデミー監督賞を受賞したスピルバーグ監督は、この時代を最も代表する映画監督として知られるようになりました。
<「映画監督の最終形態」スティーブン・スピルバーグ 代表作と特徴《前編》>
多くのものを手に入れたスピルバーグ監督ですが、ここからさらに新たなチャレンジを続けていくことになります。家族のために、映画界のために挑戦し続ける、いまにいたるまでのスピルバーグ監督をご紹介します。
目次
フィルモグラフィー(1997年以降)
- 1997:The Lost World: Jurassic Park(ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク)
- 1997:Amistad(アミスタッド)
- 1998:Saving Private Ryan(プライベート・ライアン)
- 2001:Artifical Intelligence : A.I(A.I)
- 2002:Minority Report(マイノリティ・リポート)
- 2002:Catch Me If You Can(キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン)
- 2004:The Terminal(ターミナル)
- 2005:War of The World(宇宙戦争)
- 2005:Munich(ミュンヘン)
- 2008:Indiana Jones and The Kingdom of the Crystal Skull(インディー・ジョンズ/クリスタル・スカルの王国)
- 2011:The Adventures of Tintin : Secret of the Unicore(タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密)
- 2011:War Horse(戦火の馬)
- 2012:Lincoln(リンカーン)
- 2015:Bridge of Spies(ブリッジ・オブ・スパイ)
- 2016:The BFG(BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)
- 2017:The Post(ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書)
- 2018:Ready Player One(レディー・プレイヤー1)
- 2021:West Side Story(ウエスト・サイド・ストーリー)
1993年に『ジュラシック・パーク』と『シンドラーのリスト』で興行的にも批評的にも大きな成功をおさめたスピルバーグ監督は、その後キャリア最長ともいえる休養にはいりました。5人目の子供が1992年に誕生していたため、家族とゆっくり過ごす時間を持ちたかったのです。
とはいえただ休んでいたわけではありません。自分の映画を作るかわりに、この期間に映画制作スタジオのドリームワークス立ち上げに参加します。
そしてドリームワークスから発表したスピルバーグ監督2作目『プライベート・ライアン』で、再びアカデミー監督賞を受賞しました。
それ以降いまに至るまで、興行的に成功する作品と批評家にも受け入れられる作品をバランスよく発表し、計8度のアカデミー監督賞候補になりました。
最新作『ウエスト・サイド・ストーリー』では初めてのミュージカル映画に挑戦しています。
エピソード
ドリームワークス
1945年の休養中にスピルバーグ監督は大手スタジオの設立に参画します。スピルバーグ監督にスタジオ設立を持ちかけてきた友人とはディズニーのジェフリー・カッツェンバーグと音楽界の大物デヴィット・ゲフィンでした。
ジェフリー・カッツェンバーグは『リトルマーメード』や『美女と野獣』などを作り上げたディズニー復活の立役者です。一方デビッド・ゲフィンはゲフィン・レコーズを設立して大成功を収めた音楽界の重鎮です。そこに映画界の最重要人物であるスピルバーグ監督を加えようというのです。
新しい映画スタジオをつくりあげることに成功すれば、アメリカ映画界では75年ぶりの大手スタジオの誕生になります。それはとても困難で費用のかかるものでした。
スピルバーグ監督はドリームワークスに参加するために3つの条件を出しました。1つ目に作品の質を維持するために年間9本以上の映画を制作しないこと。2つ目にスピルバーグ監督の作品をドリームワークスで独占しないこと。そして3つ目に、毎日家族と夕食を共にすることのできる働き方をすることでした。
1997年にスピルバーグ監督はドリームワークス制作となる最初の映画『アミスタッド』を作り上げました。そして2作目の『プライベート・ライアン』で2度目のオスカーを獲得することになりました。
こうして設立されたドリームワークスSKGはその後、数々の名作を世に送り出しました。スピルバーグ監督は現在ドリームワークスピクチャーズの会長を務めています。
キューブリック監督の遺した企画
2001年に公開された『Artifical Intelligence : A.I.(以降 A.I.)』は、スタンリー・キューブリック監督が長年構想をあたためていた企画です。スピルバーグ監督は80年代にはすでに、キューブリック監督から『A.I.』の構想を聞かされていたといいます。
イギリスのSF作家による短編『スーパートイズ』をもとに、未来を舞台にした『ピノキオ』を作りあげるのがキューブリック監督の目的でした。ところがキューブリック監督自身は子供を主役にした映画を監督することはできないと感じていたようです。
そこで『E.T.』に感銘を受けたスピルバーグ監督に話を持ちかけたといいます。さらに『ジュラシック・パーク』のCG技術にも感激したキューブリック監督は、いよいよスピルバーグ監督による『A.I.』の実現に向けて動き出したそうです。
キューブリック監督の死後すぐに、渡されていた90ページのあらすじをもとにスピルバーグ監督は脚本を書き上げました。『A.I.』はスタンリー・キューブリック製作によるスピルバーグ監督作といえるのでないでしょうか。
最高監督の証
長きにわたり活躍を続けているスピルバーグ監督は、これまでに8度のアカデミー監督賞候補になっています。これはビリー・ワイルダーと並んで歴代2番目の記録です。
1位は1930年代から50年代にかけて、12回もノミネートされたウィリアム・ワイラーです。ところがワイラーが1936年から1966年にかけて候補になったのにくらべて、スピルバーグ監督は『未知との遭遇』ではじめて候補に上がった1977年から、最新作『ウエストサイド・ストーリー』にいたるまで足掛け45年もの長きにわたって活躍し続けています。
スピルバーグ監督は70年代、80年代、90年代、00年代、10年代、20年代という連続する6つの年代でノミネートを果たしている史上唯一の監督です。
年代 | アカデミー監督賞候補作品 |
70年代 | 『未知との遭遇』 |
80年代 | 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』、『E.T.』 |
90年代 | 『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』 |
00年代 | 『ミュンヘン』 |
10年代 | 『リンカーン』 |
20年代 | 『ウエスト・サイド・ストーリー』 |
特徴
子役
スピルバーグ監督作品にはこれまでに多くの子役が出演しています。子供への演出が得意なのか、それとも子役を見る目がたしかなのか、その後映画界で長く活躍する俳優が数多くいます。
最初に思い出されるのが7歳で『E.T』に出演していたドリュー・バリモアです。若くして依存症に苦しみましたが、その後役者として復活。ラブコメで印象的な作品を多く残し、いまでは実業家としても成功しています。
『太陽の帝国』に主演したクリスチャン・ベールは当時12歳でした。その後の活躍はご存知の通りでクリストファー・ノーランによるダークナイトシリーズでバットマンを演じ、『ザ・ファイター』では念願のオスカーを獲得しました。
近年では有名な子役を重要な役にキャスティングするようになります。『A.I.』のハーレイ・ジョエル・オズモンドや『宇宙戦争』のダコタ・ファニングなどです。また『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』にはモーションキャプチャーによって姿は変えていますが、ジェイミー・ベルが主演しています。
最新技術
映画産業の未来に強い関心のあるスピルバーグ監督は、最新技術にたいしてつねに意欲的に取り組んでいます。『ジュラシックパーク』では誰よりも早くCG技術を大ヒットに結びつけ、その後の作品でも最先端のCGを効果的に使用しました。
『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』では『ロード・オブ・ザ・リング』を大成功に導いたピーター・ジャクソンの協力を得て、すべてのCGキャラクターの演技を役者に演じさせました。さらに当時話題だった3Dに初めて取り組んだ作品です。
さらに驚かれれたのは2018年に公開された『レディ・プレイヤー1』でした。この様々なカルチャーをごった混ぜにしたSF映画は、バーチャルワールドを舞台にしています。高齢になったスピルバーグ監督の心には、いまだに子供のような遊び心がくすぶっているのです。スピルバーグ監督はこの映画について「プライベート・ライアン以降もっとも困難な映画だった」と語っているそうです。
おすすめ作品
『プライベート・ライアン』
ノルマンディー上陸作戦を徹底したリアリティで描き、スピルバーグ監督に2度目のオスカーをもたらした戦争映画です。
圧巻なのはオマハビーチへの上陸作戦が描かれた、逃げ出したくなるような約30分にもおよぶ戦闘シーン。不安定な画面によって乗り物酔いのような状態にさせられ、銃弾が耳元をかすめる悲惨な戦場に放り込まれます。
最初に観たときには「これは無理だ…とても3時間近くも観ていられない」と逃げ出したくなったことを覚えています。
たった一人の兵士を生きて帰国させるために送り込まれた8人の兵士の物語。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
実在した有名な詐欺師フランク・W・アバグネイルをモデルに製作された2002年の映画。スピルバーグ監督、トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオという豪華なメンバーで作りあげた軽いタッチの娯楽ムービーです。
3人とも大作映画が多い時期だっただけに、いい意味で肩の力が抜けていて新鮮でした。
若かりしころのスピルバーグ監督が、自分の身分を偽ってユニバーサルスタジオへ出入りしていたのは有名な話。空いている事務所を勝手に自分の部屋にしていたほどのペテン師でした。そんな自分のルーツを描いてみたかったそうです。
『リンカーン』
エイブラハム・リカーンが亡くなる前の4ヶ月を描いた2012年の作品。主演したダニエル・デイ=ルイスはこの作品で3度目のオスカーを獲得しました。意外なことにスピルバーグ監督の作品から演技賞を獲得したのはこれが最初のことでした。
その後2015年公開の『ブリッジ・オブ・スパイ』ではマーク・ライランスがアカデミー助演男優賞を受賞し、『ウエスト・サイド・ストーリー』では主演女優賞にレイチェル・ゼグラーが、助演女優賞にアリアナ・デボーズがノミネートされています。
参考文献:『Who Is Steven Spielberg? (Who Was?) (English Edition)』著Stephanie Spinner
参考文献:『The Cinema of Steven Spielberg: Empire of Light(English Edition)』著Nigel Morris