公開以来さまざまな映画賞を受賞してきたことで話題の『ドライブ・マイ・カー』ですが、ついに本場アメリカのアカデミー賞で作品賞にノミネートされました。『おくりびと』以来の外国語映画賞受賞や濱口竜介監督の監督賞、そして作品賞などの受賞に期待がかかります。
原作は村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録されている一遍『ドライブ・マイ・カー』ですが、これから映画を鑑賞する読書好きにとっては小説を先に読むべきなのか、それとも映画を先に観るべきなのか判断に迷う人も多いのではないでしょうか。
小説を先に読めば映画を観る楽しみが減るかもしれない、とはいえ読書好きであれば先に読んでおきたいと考えるのも当然です。
そこで映画のネタバレをすることなく、どちらを先にするべきなのか詳しく解説してみたいと思います。結論をいってしまえば、ずばり小説を先に読むべきです!
今回は映画版『ドライブ・マイ・カー』と原作小説『女のいない男たち』の関係性について解説することで、いつかは原作小説を読みたいと考えているなら映画を観る前に原作を読むべきであるという理由を3つご紹介します。
- 6篇の短編小説には結末が書かれていない
- 映画を理解する手助けになる
- 村上春樹作品のリズムに慣れる
小説をこれから読む人のためだけでなく、すでに小説を読んだ人には要点のまとめとして、さらにどうしても小説を読む時間のない人にとっては映画の予習にもなります。
映画を楽しむためにぜひ最後までご覧ください。
目次
『ドライブ・マイ・カー』の背景
まずは映画『ドライブ・マイ・カー』について簡単にまとめてみました。
2021年公開
監督:濱口竜介
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生、パク・ユリム、ジン・デヨン
脚本:濱口竜介、大江崇允
『ドライブ・マイ・カー』は濱口監督による第3作目の商業映画にあたります。『ドライブ・マイ・カー』の数ヶ月前に公開された2作目『偶然と想像』は、ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞しました。
そして『ドライブ・マイ・カー』はカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したのを皮切りに、ニューヨーク批評家協会賞の作品賞を受賞。さらに全米映画批評家協会賞やゴールデングローブ賞でも受賞がつづき、ついにアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、外国語映画賞の4部門でノミネートされるという快挙を達成しました。
小説と映画の関連性
『ドライブ・マイ・カー』は短編小説集『女のいない男たち』をもとに濱口監督と大江崇允さんが脚本を書き上げた作品です。『女のいない男たち』には6篇の短編が収録されており、映画と同名の『ドライブ・マイ・カー』が映画のベースになっています。
ところが濱口監督と大江崇允さんは脚本を書き上げるに際して、『女のいない男たち』に収録されているほかの短編からも巧みにエピソードや設定を取り入れました。
そのため映画『ドライブ・マイ・カー』の元となった小説は、同名の短編だけでなく『女のいない男たち』という短編集そのものだともいえます。
つまり映画を観る前に原作小説を読むのであれば、同名の短編だけを読むのではなく『女のいない男たち』に収録された6篇すべてを読むことをオススメします。
短編小説『女のいない男たち』
それでは『女のいない男たち』に収録されている6篇と映画との関連性を確認しましょう。
短編 | 内容 | 関連 |
『ドライブ・マイ・カー』 | 妻を病で失った俳優の家福は、妻の度重なる裏切りを知っていた。事故によって免停処分をうけたことで出会った渡利みさきという運転手に、高槻という妻の浮気相手との奇妙な関係を語る。 | ◯ |
『イエスタデイ』 | バイト仲間で浪人生の木樽は、阪神タイガース好きが高じて田園調布生まれながら完璧な関西弁を話す。あるとき木樽は僕に彼女とデートしてほしいと依頼する。 | ー |
『独立器官』 | ジムで知り合った渡会医師はいつでも大勢の女性と関係を持っている。あるときそんな渡会医師からひとりの女性のことが頭から離れないと相談される。 | △ |
『シェエラザード』 | 羽原がシェエラザードと呼んでいる女は、セックスのたびに物語を聞かせてくれる。あるとき彼女は高校のクラスメートの家に忍び込んでいた話をはじめた。 | ◯ |
『木野』 | バーの店主をしている木野は、むかし妻と同僚の浮気を目撃して離婚した過去を持つ。店の常連だったカミタは木野に「逃げたほうがいい」と告げる。 | ◯ |
『女のいない男たち』 | 夜中の電話は、むかし付き合っていたエムが自殺したことを知らせる夫からのものだった。夫はどうして僕に電話をしてきたのだろう。 | ー |
6篇の小説のうち『シェエラザード』以外の短編はすべて、女を失った男について書かれています。個々の作品が内在するテーマが非常に近いため、6篇を通してはじめてこの短編集の輪郭がおぼろげながら見えてきます。
とはいえ映画と関連の強い作品は『ドライブ・マイ・カー』、『シェエラザード』、『木野』の3篇だともいえるため、6篇すべてを読む時間がないなら関連の強い3篇だけでも読むことをオススメします。
理由1:6篇の短編小説には結末が書かれていない
映画を観る前に原作小説を読んだほうがいい理由のひとつめは、短編小説には結末が書かれていないという点です。読んだほうがいいというよりは、読んでも構わない理由といったほうがいいかもしれません。
村上春樹さんはTOKYO FMのレギュラー番組『村上Radio』の中で、iPS細胞研究所長の山中伸弥教授からの「村上春樹作品には結末が描かれていない」という指摘にたいして「そこがいいんじゃないですか」と答えていました。
原作となった小説を先に読むことに抵抗があるとすれば、それは映画のネタバレを気にしてのことだと思います。ところが『女のいない男たち』には結末が書かれていないため、そういった心配はいっさいありません。映画には濱口監督と大江崇允さんが見つけだした、映画オリジナルのすばらしい結末が用意されています。
それでは映画と関連の強い3つの短編小説『ドライブ・マイ・カー』、『シェエラザード』、『木野』そしてわずかに関連している『独立器官』についてそれぞれ簡単に内容を見てみましょう。
『ドライブ・マイ・カー』:関連◯
映画と同じ名前のこの小説は、まさに物語の器となる作品です。主人公である家福の設定は小説と映画でほとんど共通しており、運転手のみさきや妻の浮気相手で俳優の高槻も同様です。映画では家福の妻に(音)という名前がつけられていますが、原作小説には名前はありません。
小説では家福がみさきに語って聞かせる「高槻との奇妙な関係」が主軸となっており、内容的には映画との関係は希薄です。広島を舞台にした演劇祭自体が映画オリジナルの舞台設定であるために、都内が舞台の高槻との会話の雰囲気は、映画にはあまり感じられません。
『シェエラザード』:関連◯
「ハウス」に匿われている羽原のもとに、週に2回差し入れをする女がいます。名前がわからないその女のことを羽原はシェエラザードと呼んでいます。なぜなら女は羽原とセックスをしたあとで必ずひとつの物語を語ります。あるときシェエラザードは、高校時代の同級生の家に忍び込むようになったという話を語り出します。
シェエラザードが語った内容こそ、映画で音が語った「ヤマガ」の話です。「やつめうなぎ」の話も小説に登場します。映画では音は語った内容を覚えていないという設定に変えられています。この変更は物語のとても重要なポイントになっています。セックスのあとに語られる「ヤマガ」の物語以外には映画との共通点はありません。
『木野』:関連◯
叔母が残した一軒家でバーを経営する木野は、不貞をはたらく妻と同僚の行為を目撃した過去があります。妻とは別れ、会社も辞めてひとり静かに経営する「木野」に、ある日坊主頭の男カミタ、灰色の猫、そして身体中に火傷の跡のある女が通うようになります。激しい雨の日についその女と関係を持った木野は、店を失ったうえに逃げるように放浪する羽目になります。
舞台設定、物語ともに映画『ドライブ・マイ・カー』とはずいぶん異なりますが、この短編で描かれていることがらがもっとも映画に近いように感じます。家福と木野はともに妻の不貞を目撃しており、心に共通の悩みを抱えています。
答えのないほかの短編とはことなり『木野』では唯一、主人公にわずかな気づきが生まれているのも特徴的です。
『独立器官』:関連△
舞台設定や物語のどれも映画『ドライブ・マイ・カー』とは異なりますが、ある登場人物が物語の終盤で語る言葉がこの映画においても重要な意味を持ちます。ほかの村上春樹作品でも登場する有名なフレーズだということに気づく人も多いのではないでしょうか。
理由2:映画を理解する手助けになる
映画を観る前に原作小説を読んだほうがいい理由のふたつめは、難解な映画を理解する手助けになるという点です。
『ドライブ・マイ・カー』の感想レビューには「よくわからなかった」というコメントが数多くみられます。結末の書かれていない短編小説をもとにつくられた映画であれば、ある意味ではしかたのないことであるともいえます。
主人公の家福はチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の演出を手がけ、戯曲の内容は映画のストーリーと密接にリンクしています。そのため小説や戯曲の予備知識があればさらに深く映画を楽しむことができることは間違いありません。
実際に映画を作った濱口監督はつぎのように語っています。
小説と往復するように見返していただけたら、こんなに嬉しいことはありません:濱口監督
引用:『ドライブ・マイ・カー』公式パンフレット
わたし自身、小説を読んでから映画を観たことが大きな理解の手助けになったと感じました。関連性の強い3つの短編を知っていたことはもちろんのこと、それ以上に「女のいない男たち」という短編集から与えられたテーマについて自分なりに考えた経験があったからです。
映画『ドライブ・マイ・カー』は原作短編集にくらべれば、ずっとドラマチックで物語としてわかりやすいのも事実です。それでも小説を読んで少しだけ先回りをしておくことが大きな助けになるはずです。先に読んだからといって、映画の面白さが損なわれるようなことはありません。
理由3:村上春樹作品のリズムに慣れる
映画を観る前に原作小説を読んだほうがいい理由の三つ目は、村上春樹作品のリズムに慣れておくことで理解の助けになるという点です。
村上春樹作品には共通した独特のリズムがあります。会話文と地の文のどちらにも、特徴のある文章であればそれが村上春樹作品だとすぐにわかるほどの個性があります。
映画『ドライブ・マイ・カー』で驚かされる点のひとつに、その村上春樹作品のリズムが具現化されていることがあげられます。会話のリズムだけでなく映像にまで、そんな村上春樹的なリズムで統一されています。
とはいえ刺激の多い映像に慣れている人からみれば、なんだか冗長で余白の多い映画だと感じるかもしれません。
映画を観る前に小説を読んで独特なリズムを体験しておけば、余白はそこに流れ込む大切なことがらのための道筋だと理解することができます。たぶん。
以上、いつか小説を読むなら映画を観る前に読むべき理由3選でした。
映画『ドライブ・マイ・カー』は原作となった短編小説だけでなく、戯曲『ワーニャ伯父さん』とも深く関連しています。最初からすべてを理解する必要はなく、まずは映画『ドライブ・マイ・カー』を楽しむために原作小説を読んでみることをオススメします。
そして映画を観たら、もう一度小説に戻ってみる。濱口監督が語ったように小説と映画を何度も行き来することがこの映画をもっとも楽しむ方法かもしれません。